2011年01月26日

人事を尽くして天命を待つ

あれか、幸運の女神ってのは、バレーボールのスパイカーなのか?

トスを持っていくところまでは自分でしないと駄目なのか??

全く、もう。


多分、知識はもう十分にあるんだよな。

後は実行に移すだけだ

ニックネーム ぶらっくべりー at 17:54| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

準備と心構え

8時30分から企画があるから8時まで寝ていられるというのは、完全なお客様思考、依存思考であって、そんな行動の1つ1つが自分の主体性・自主性を駄目にしてる気がするね。

何時から何があるのか。
そこで何が行われるのか?
それに対して自分はどういう行動が求められるのか、どんな行動がしたいのか。
自分のしたい行動をするために、どんな準備が必要なのか。

なんか、最近学んだ保育ポートフォリオの保育計画に似てる気がするけど、この前準備と後からの記録が、自分の1日をより密度の高いものに変える気がぷんぷんするね!!ヽ(・∀・)ノ
ニックネーム ぶらっくべりー at 14:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

なぜ大学に入って勉強ができなくなったのか?

 高校時代は、「感覚」を使っていた気がする。

 実際、倫理も「なんとなくこんな思想」で覚えていたし、現国も、センターなんかは、何となく選択肢が浮かび上がってみえたものだった。

 一時期やっていた東大国語はさすがに論理性が求められたが、それも「なんとなく相手の言いたいポイントを見つけて、それを文章中から抜き出して繋げる」という、直観を元にした解き方をしていました。

 だから、今でも、現代国語の解き方を他人に教えることはできませんし、倫理も、あれほどハマっていた割には、いざ他人に説明しようとするとうまく説明できなかったりします。

(倫理の場合は、イギリス経験論VS大陸合理論とか流れで覚えてる部分もあったから、その部分は説明できますが)

 しかし、大学の勉強においては、それが通用しない。

 まず、概念が難しすぎて、それを「感覚的に理解する」(要するにこれはこういう事、と自分の言葉に落としこむ)ところまでなかなかいかない。

 第二に、覚える範囲が広すぎて、知識同士を構造化することが困難である事。そして、そんな中での「必要最低限だけ覚える」という技法は、ここでは通用しないのです。

 そう言えば、高校の頃、画期的な(とその頃の自分は思っていた)古文の読み方を発見したことがありました。

 私は当時、古文の「助詞」「助動詞」がうまく訳せずに(今考えると“ニュアンスが理解できなかった”のだろうと思われます)、成績が全然上がらない時期がありました。

 ところがある時、

「助詞(助動詞)1つについて、最も使う訳を1つ決めておいて、機械的にその翻訳に移して読んでいこう」

というのをやってから、格段に古文が「読める」ようになったのです。

 大学に入ってから、自分が勉強ができないのをずっと悩んでいましたが、そのヒントが最近見つかりつつあります。

 今日書いた文章の中にも、既にそのヒントが隠されています。

「概論や目次を読んで、その疾患が全体の中でどういう位置づけにあるのか、或いはどんな特徴があり、どのような流れで定義された疾患なのか、を頭に入れる。」
「そして、構造化した中で、その疾患に特徴的なものだけとりあえず覚える。そして“この疾患はこんなもんだ”という感覚を養う」


 多分、この2つだけでも結構変わると思います。

 これからの国試、そして卒業後を考えると、このまま何もせずに嘆いている暇はありません。

 人と違うということは、裏をかえせばその分アドバンテージがあるということです。

 自分にあった勉強法をはやく見つけて、自分の力を適切に伸ばしてやりたいもんですNe!( ^ω^)
ニックネーム ぶらっくべりー at 23:57| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

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